神戸の坂と活断層中日新聞,1997年 5月17日(依頼)
三宮から異人館街へ上る北野坂,洒落たブティックやエスニック料理店の並ぶハンター坂など,神戸の街には個性あふれる坂道が多い。神戸港から眺めると,すぐそこに六甲山地が屏風のようにそびえ,その手前のなだらかな斜面に神戸の街は位置している。六甲から流れ下る清涼な水と爽やかな風,そして立体感あふれるダイナミックな地形はこの街の大きな魅力だ。
メリケン波止場から山の方へ歩いていくと,商船会社の石造りのビルや倉庫群が見える下町からハイカラな山の手へと街並みは急に変わる。その境界は比較的急な坂になっていて,登り切るといったん平らになり,さらに進むと山へ向かって再び急になっていく。このあたりの斜面はかつて,六甲山地から流れ下った川が作った扇状地であることを考えると,これはおかしい。本来は,山から海へ向かって,斜面の傾斜は徐々に緩くなるはずである。
神戸の元町付近の地形が「異常」であり,それが活断層の仕業だということに,地震以前には誰も気づいていなかった。神戸の活断層と言えば,六甲山地の急斜面の付け根の新神戸駅付近にあると信じて疑わなかった。そのため,阪神淡路大震災の際の「震災の帯」が,そこから1キロも海側に離れたところになぜできたのかと首を傾げた。しかし事実は違っていた。実際には,下町と山の手の間の急な坂の下にも活断層があって,そこが「震災の帯」の中心となっていたのだ。
地形の「異常」に我々が気づいたのは,地震の約半年後に活断層の見直しを始めた頃だった。従来とは格段に高精度の空中写真を観察したために新たに見つかったものだが,発見当初は目を疑った。しかしその直後,この付近の地下探査結果が兵庫県により発表され,そこに記された明瞭な活断層を目の当たりにすることになった。
地形は決して気まぐれではなく,自然の法則に従って造られる。そのため,その場所の地形がどのようにして出来てきたかを論理的に紐解くことが可能で,同時に,その場所でどのような自然災害が繰り返されてきたかを推定することもできる。活断層の動きもそのひとつだ。
ところで,「異常な急斜面」は元町付近では比高20メートル近いがその延長部では急激に小さくなり,よくわからなくなる。それは,延長部の地形が極めて新しいことによる。すなわち,元町付近の地形はおよそ十万年前にできた古いもののため,以後,何度も断層運動によって持ち上げられたのに対し,その延長部は数千年前にできた新しい地形のために,いまだ十分に隆起していないのだ。
詳細な現地測量を繰り返した結果,異常な地形は神戸市元町から西宮市までのほぼ全域にわたって,震災の帯の中に存在していることがわかり,活断層が連続している可能性が高いことがわかった。今後の課題は,このような活断層が果たして今回動いたかどうかである。1メートルを超えるような大きな動きがなかったことは確定しているのだが,全く動かなかったというデータはない。壊滅的な「震度Ⅶ」はその下で活断層がずれたために生じたのかどうか? この問題は今後の日本全体における被害予測にとっては大変重要なテーマであるにもかかわらず,未解明のまま残っている。
われわれが測量して歩いたところは,正に震災の帯のど真ん中。周りでは復旧活動が続けられていた。地震防災のための調査と言えば聞こえはいいが,はっきり言って後追い調査では神戸の住民のためにはならない。ここで今回と同じような地震が,近い将来にまた繰り返すとは思われないからだ。震災の帯の原因究明は,主に他地域の防災のためである。そのことは神戸や淡路の人も十分承知の上で,それでも容認してくれた。その寛容さには頭が下がる。
「神戸の地震からより多くの教訓を得たい」という願いから,地震後に多くの研究者が現地に入り調査を行ってきた。それらの報告書の結びには決まって,研究者一人ひとりの言葉で,被災者に対する感謝が述べられている。
[土曜招待席「人と自然を語る」シリーズ⑤]