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アジア各国の活断層中日新聞,1997年 5月10日(依頼)

 サハリンや日本のみならず,極東やアジアの多くの国は活断層をかかえている。アジアの最西端のトルコからイラン~インド~インドネシア,また東アジアでは日本・中国,そして東南アジアのフィリピンと,いずれも国内に活断層が分布し,地震国となっている。韓国にも活断層がある。

 その韓国では,活断層の存在はほとんど知られていない。それもそのはずで,1992年と94年に日韓合同調査隊が,韓国南東部において初めてその存在を確認したばかりである。17世紀頃まで,韓国では比較的多くの地震が起きていたことが記録されている。古い歴史をもつ慶州は,かつて大地震に見舞われたという記録がある。調査隊が確認した活断層はこの街に近いことから,関連性が検討されている。

ところが不思議なことに,韓国では現在ほとんど地震が起きていない。そのため,地震対策の必要性を強く再認識するきっかけに乏しい。

 トルコでは,国内を北アナトリア断層というプレート境界でもある大断層が通っている。この断層沿いではこれまでに幾度となく地震が繰り返され,今世紀も1939年以降,マグニチュード7~8の地震が,震源を次第に西に移しながら7つ続発している。イスタンブール寄りの部分にいまだに地震が起きていない空白域があるという理由で,日本・トルコ合同の調査がすでに十年前から始まっている。

 この断層に沿って,1944年にマグニチュード7.6の地震が起きたあたりを調べてみると,柳の並木や水路および河川が右横ずれしていた。丹念にずれの量をはかると,4m程度のものがもっとも多く,他には8m,12m,‥‥という具合であった。どうも4の倍数になっているらしい。これはおそらく一回の地震の際にずれた量が4mで,古くからある水路や河川などは複数回地震を経験しているのに違いない。何か,できた時代のわかる目印はないか?

 絶好の指標が見つかった。それは古代の橋の遺跡で,ちょうど断層を跨いで建設されていたため,2番目と3番目の橋脚の間が25m(おそらく地震6回分)も横にくい違っていた。橋脚のしっくいに中には,それをつくる際に燃やした炭のかけらが入っていて,年代測定の結果1500年前のものとわかった。このことから,この断層の活動周期は250~300年程度と推定された。さすがにプレート境界断層だけあって,日本の活断層よりずいぶん活動的なようだ。

 こんな断層を抱えているため,歴史をさかのぼると17世紀には大地震があった。16世紀には,イスタンブール(当時はコンスタンチノープル)も激震に見舞われている。なのに現在,人々の暮らしぶりに地震に対する備えは感じられない。湿潤な沿岸地帯では木材をはすかいにして土壁の家を造るが,乾燥した内陸部では日干し煉瓦をただ積み上げている。近年は建築様式が変わったが,鉄骨をいれることなくひたすらブロックを積み重ねて高層ビルを造ってしまう。壁も驚くほど薄い。これでは地震が来たらひとたまりもない。相対的には短いとはいえ,数百年の再来周期は人間には長すぎて,教訓として残らないようだ。空白域を含め,地震が当分起きないことを,トルコの友人の顔を思い浮かべながら,祈るのみである。

 中国も,意外に思われるかも知れないが地震国である。20世紀だけでもマグニチュード7.8以上の地震が10件程度起きている。いずれも内陸の直下地震であったため被害は甚大で,犠牲者の数は1920年の海原地震で23万人,1976年の唐山地震では24万人にのぼった。1556年の華県地震では82万人以上の死者が出たという記録もある。想像を絶する被害の大きさだ。

 このように中国の内陸で地震が多いのは,インド亜大陸から伝わるヒマラヤ・チベット山塊を隆起させた力が,中国内陸部にも作用し,内陸の活断層を変位させるからだと考えられている。

 北京の西方,石炭の街,大同の周辺は活断層の集中する地帯である。そこへ行ってみると,そこには戦前かそれより古い日本の農村風景が広がっている。盆地の中心にある大同市内は賑わっているものの,活断層に近い山際の村は貧しい。川には橋もない。原始的な農機具を用い,牛に畑を耕させたり麦を挽かせている。日干し煉瓦の家の軒先には,ヒエやキビを吊している。

 生活ぶりと家屋の作りからみて,稀にやってくる地震に備える余裕はおそらくないに違いない。それでも夕暮れ時になると,大多数の家屋の薄暗い室内にはテレビが光り始める。おそらく神戸の惨状も彼らは見ているに違いない。大同付近では最近も地震があったことから,自分達の住む土地が地震と無縁でないことは知っている。一体どんな気持ちで,テレビの光景を眺めているのだろうか。

 こうした海外の事例をみると,活断層の対策に関する手本はどうやらないようだ。稀にしか襲ってこない自然災害に備えると言うことは,経済的に余裕があって初めて可能になることなのだろう。その意味では今の日本はそのいい機会なのだが。

[土曜招待席「人と自然を語る」シリーズ④]