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サハリン北部地震中日新聞,1997年 4月19日(依頼)

 阪神大震災の4ヶ月後に発生したサハリン北部地震の震源地を,地震後3週間目に訪れたところ,衝撃的な光景に出会った。

 まず驚いたのは,サハリンの原野に出現した地震断層である.概ね南北に全長36kmにわたって大地が裂けた。ヘリコプターから見ると,樹木の疎らな緑の大地にくっきりと地震断層が追跡される。断層沿いでは樹木がなぎ倒されている。

人工構造物のない原野を走る地震断層の変位量は空からではわからないが,降り立ってみると,上下変位量はせいぜい人の背丈ほどで大したことはない.ところが水平方向にはその何倍も大きくずれていた。断層直上に生えていた樹木がそのことを証言している。哀れにもこの木は,断層が6mも右横ずれしたために,股裂き状態になり引きちぎられていた。

 サハリンの原野には,油田開発の際に残された大型探査機のわだちが縦横に残されている。テントを担いで,わだちが断層で切られているところを探し歩いた。苔むした湿地にしばしば足を取られ,道なき道をゆく。川を渡る橋もない。巨大熊の出現に脅え,蚊の大群に悩まされながらの強行軍。その末に観察された横ずれ変位量は最高8mに達した。まさに驚異的である。モンゴルで10mを越えたことはあるものの,変位量8mは世界でも最大級だ。

 「死者2千人の大惨事」,原野を歩いているとその実感はない.しかし,目の前の断層がずれた時に,そのせいで多くの人命が失われたことは事実だった.油田開発のために30年前に建設されたネフチェゴルスクの街は,断層から約3kmしか離れていなかった.

その街は実に無惨だった.すでに救助活動は打ち切られ,人影はない。無造作に積み上げられた空の柩は何を意味するのだろうか。特殊警察によって厳重に見張られ,特別な許可がないと入れない。ロシア科学アカデミーとの合同調査隊であったために,なんとか立入らせてもらえた.

 決して頑丈とは言えない2階建てや平屋建ては無事なのに,5階建てのアパートだけが17棟すべて全壊した。これは,経済優先政策がとられていた時代に,あちこちに大量に建設されたものだそうで,建築材料や工法に耐震を考慮した様子はない。石炭の残灰を固めたコンクリートや,貧弱な鉄筋が残骸となって積み重なっている.サハリンが地震多発地帯であるにもかかわらず,耐震強度は低く押さえられていたという。下敷きになって亡くなった人の無念を痛感する.

 地震後1ヶ月にしてこの街はすでに廃虚だ.生き残った約千人の住民もすでに他の街へ移住させられた.街の中心には,整地されブルトーザーのキャタピラーのあとが残る赤土の広場ができている.塀に書かれた「死んでないよ,○○」というペンキの文字がわずかに惨劇を伝えている.それにしても生存者よりも犠牲者の方が多いという大惨事,ひとつの街が歴史から消えてしまうという現実,どうやって受けとめたらいいのだろう.歴史の浅い街ゆえに消滅もやむなしとの判断かもしれない.しかし,ここで暮らした住民にとっての30年の歴史は決して軽くはないはずだ.街の消滅によって彼らは,最愛の家族だけでなく,友人,故郷,想い出,そして夢,人生のすべてを失ったといっても過言ではない。

 帰路,アエロフロートの機内誌にこう記されていた.「1ヶ月以内にネフチェゴルスクは『埋め』られ,森林に還る!」と.

[土曜招待席「人と自然を語る」シリーズ③]