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災害対策中日新聞,1997年 3月29日(依頼)

 ひとたび起きると大災害になる活断層が引き起こす内陸直下地震。これにどう備えるべきかについて,いまだに答えは出ていない。そもそも日本人は,いつ起きるかわからない自然災害にどう備えようとしてきたのだろうか。

 富士山は数十年から四百年程度の間隔で,過去に噴火を繰り返している。前回の大噴火は宝永年間の1707年に起きた。このとき,麓の御殿場では,噴煙の黒い雲に覆われ真っ暗になり,真っ赤に焼けた噴石が大量に降り注いだ。噴火は断続的に約20日続き,轟音と振動は江戸の町まで届き,火山灰は小田原で90センチ,江戸でも15センチ降り積もったという。以来,290年間噴火していない。やがては次の噴火を迎えることになる。

 これに対する防災対策はほとんど検討されていない。われわれは噴火の際,何が起きるかすらほとんど知らない。交通の大動脈である東名自動車道も東海道新幹線も,富士の裾野をかすめている。

 身近な河川が起こす洪水はどうだろうか。日本の大半の河川堤防は,約50年に一度の確率で発生する豪雨に耐えられるレベルである。建設省は200年に一度の洪水に耐えるよう,堤防を高くしようとしているが,経費の問題や景観上の問題があり,すぐに改良することは難しい。

 したがって現状において大半の河川堤防は,百年に一度の頻度で起きる稀な豪雨には耐えられず,氾濫することがある。乱暴な言い方をすれば,堤防沿いの低地に住んでいる人は百年に一度は流される危険性がある。

 日本人はこれまで,百年に一度というような災害について,深刻に考え,議論したことがない。構造物を設計する際にも,その構造物の耐用年数を基準に,その期間内に発生すると思われる災害を通常検討の対象とした。百年を超える耐用年数が想定されることはほとんどなく,そのため百年に一度の災害は検討の対象外であった。まして,「千年に一度」とも言われる活断層が起こす地震など,ダムや原発の建設等,一部の例外を除いてほとんど無視されていた。

 「経済的な理由から活断層対策には限度がある」というのは,単に活断層の数が多いからということではない。災害発生確率がこのように決して高くないということが本質的な問題であり,そのため,「対策に多額の費用をかけることが果たして適当か」とか,「地震が起きない以上,効果が現れず無駄な投資に終わる」とかの批判があったし,また今日もなお,あることは事実だ。

 本当に無駄かどうか? それは今後,世論が決めることである。地震発生の可能性が低いとは言え,その発生は明日かもしれないし,しかも災害の大きさが驚異的であることを目の当たりにして,危機意識は高まった。

 「安心」を得るための対策としてできることは,「最低限守りたいものを守る」ということに限定される。守るべきものとは,当然のことながら,「人命」であるはずだ。すなわち活断層対策は,「地震の際の犠牲者数を減らすために何が効果的か」の一点に集中させるべきだ。

 高速道路の補強についても,災害時の救援活動に必要な部分を確保するという目的に限定してなされるべきではなかろうか。兵庫県南部地震の際,阪神高速道路がもし倒潰しなかったら,救援復旧活動はもっとスムーズに進んだであろうから,たしかに対策は必要だ。

 しかし,震災後の日本経済に与えた損失の大きさを根拠に,対策の重要性を主張するのは的を得ていない。まして,活断層が近くにあろうがなかろうが,全国一律に補強するというのはいかがなものか? 「対策費は有限」であり,しかも,あと10年もすれば日本の人口は減り始めるため,防災対策費に回せる予算を今の水準で維持することすらできなくなるのだ。

[土曜招待席「人と自然を語る」シリーズ② ]