活断層と暮らす中日新聞,1997年 5月24日(依頼)
「活断層と暮らす」。抜本的な対策が困難である以上,活断層とうまくつきあって,被害を最小限にとどめたい。やれるだけのことをして,納得して平穏に暮らしたい。そういう発想に対して,今のところ明快な答はない。それは,そもそも「暮らし方」は個人の価値観の問題であり,自主性が尊重されるためであろう。 対策を考える上では,まずは「敵」を知ることだ。活断層の位置は多くの機関がすでに公表している。万が一の地震時にどのような被害が予想されるかを公表している自治体もある。阪神淡路大震災の前とは比べものにならないほど情報が充実してきた。
そのような情報によって危険性が高いと考えられた場合には,自分や家族の生命を守るために今すぐ何ができるかを考えるべきだ。さらには,十年間でやれること,五十年間でやれることといった長期戦略を考えることも必要だろう。めったに起きない災害であるため,活断層上からの強制立ち退きや,耐震構造の義務化といった話には今後も至ることはないと思われるが,だからといって何もしなくて良いと誤解してはいけない。判断が個人に委ねられているということの重みを忘れてはいけない。
このように,あくまで自主防災が重視されるべきであるが,かと言って対策を全面的に個人任せにして良いわけでもない。個人がやれることには当然限度があり,社会としてなすべきことについても十分考える必要がある。
「活断層の上に作ってはいけないものは何か?」については,一度しっかりと議論する必要がある。もし破壊すると致命的なもの,例えば原発やダムは,従来から建設が禁じられていた。放射性廃棄物処理場や,危険物を対象とする産業廃棄物処理場も当然これに準じる。病院・学校・各種福祉施設についても規制すべきであると主張する研究者は多い。「不特定多数の人が,否応なしに集められる施設である」というのがその理由だとすれば,空港や駅,各種レジャー施設やショッピングセンターについてはどうだろうか?
活断層の真上を開発する場合,最近では自主的に調査されることが多くなった。その結果については公開されて初めて役に立つ。活断層の詳細な位置,今後の地震発生の可能性,地震の際の震動予測,構造物の耐震性能等の具体的な情報を一般に公表してほしい。
活断層と如何に暮らすかは,我々の子孫の代においても懸案事項として残るかも知れない。活断層上の無秩序な開発は禍根を残すことになるし,対策として今できることは始めておくべきである。かつて,災害は郷土の伝承として伝えられ,住んではいけない場所が教えられ,災害の再発を未然に防いだ。その意味でも,活断層の位置情報を始めこれまでにわかっていることを,地域のコミュニティーのレベルで情報交換しておく必要があろう。
また,科学的には十分解明されていないものの,過去の直下地震のうち約半数で,発光現象や地鳴り,小規模地震や地下水異常など何らかの前兆があったという。1894年の山形県庄内地震や1945年の三河地震の前にも,地元の人々の間には天変地異の予感があった。1976年の中国の唐山地震の直前には,発光現象を見て,とっさの判断で列車を止め,乗客1300人の命を救った運転手がいた。こうした事実は,活断層とそれに関わる地震の存在を日頃から意識しておくことが,防災上如何に大切かを物語っている。
活断層は地球の鼓動。もしこれに対処しようとするならば,我々もじっくり腰を据えて,その動向を見守っていく覚悟が必要だ。百年以上かけて成し遂げるべき大作なのかもしれない。スペインの建築家ガウディーのような長期戦略の元で。(完)
[土曜招待席「人と自然を語る」シリーズ⑥]